通いなれた学校の廊下を歩いて、突き当たりの角を曲がろうとすれば、突然にゅっと目の前に伸びてきた腕が、ばんっと音と立てて壁に突き立てられ進路を塞がれてしまった。
腕を組み、冷ややかな瞳で見下ろしてくるその顔は常の彼がよく浮かべている無表情となんら変わらない。
しかし珠洲には悲しいかな、はっきりと常とはほんの些細な違いが分かった。
瞳が、笑っていないのだ。
例えるなら「お前、いい度胸だな」と。
しかし、こちらとて彼が何故こうも怒っているのか、さっぱり分からない。
寧ろ何故待たされた自分が、待たせた彼に怒られねばならないのか。
憤りを感じこそすれ、罪悪感を感じる必要などないはずだ。
…ないはず、なのだが。
(こうも無言の圧力を上からぐいぐいとかけられると…なぁ)
視線で殺すというのはこういう事をいうのかと、
はてさてどうしたものかと考えあぐねていれば、頭ひとつ分上からため息と共に、ぽんと手のひらが頭を撫でた。
彼にしては珍しく、あやすように優しいその手つきに一瞬ほだされてしまいそうになるけれど、ここで許してしまっては今後の為にもいけないのだと必死に自分に言い聞かせて、決して彼の方は見ない。
「…少し待つくらいの辛抱強さはあってもいいんじゃないのか」
「少しって…、今何時かご存知ですか?」
言いながら、とっぷりと暮れてしまった窓の外へとわざと視線を外せば。
少しは罪悪感を感じていたのだろうか、う、と口ごもる。
残念ながら手元に時計はないが、陽は既に山裾に殆ど沈んで見えなくなっている。
「それに、いつも克彦先輩は私を迎えに来るたびに”なんでこの俺がお前みたいなのをわざわざ迎えに行かなきゃならないんだ”って言ってるじゃないですか」
だからあんまり遅いので今日こそ愛想をつかして一人でお帰りになったのかと思ったんですけど、と続ければ、どうやら自覚はあったようで。
珍しく、言葉に詰まっているようだ。
ちょっと意地悪しすぎたかな、と思ったけれど、普段彼から受ける苛め(彼曰く「遊んでやっているんだ」らしいが)に比べればこれ位可愛い方だ。
たまには自分がされてみて、相手がどんな気持ちなのかを知ればいいんだ、と少しの申し訳なさを感じながらも一切助け舟を出さないでいたのだけれど。
ちらりと盗み見た克彦先輩は、予想外にもいつのも意地悪(というか極悪人面)で微笑んでいたのだ。思わず唖然とする私を楽しそうに見つめながら、伸ばされた指が珠洲の頬をゆっくりと滑る。
いつもならすぐに振り払うのだけれど、どうにも身動きがとれない。
そんな珠洲の様子に更に上機嫌になったらしい、克彦先輩が「お前、分かっているのか」と問いかけてきた。
一体何のことだろうか、と首を傾げていれば。
「…今のお前のセリフはどう聞いても妬いている風にしか聞こえないぞ」
だなんて、予想外のセリフを吐くものだから。
「ばっ、違っ、違います!私は怒ってるんです!!」
「だから、俺が他の奴に構ってお前を迎えに来なかったから拗ねているんだろう」
「違います!全然違います!なんでそういうおかしな方へ解釈するんですかっ!」
真っ赤な顔して慌てながら弁解したって、寧ろそれは逆効果だということに珠洲は気づかないのだろうか。
けれど、それをわざわざ忠告してやるほど壬生克彦という人間は優しくはなかった。それでも、普段はおっとりとしている上に、周りの人間に等しく優しい彼女がこんな風に思っていたのを知れたのは嬉しかった。
びくびくする身体へ、ぐっと身体を近づけて、真っ赤になった顔のすぐ傍へ綺麗な弧を描いた唇を寄せて、
「本当にお前はからかい甲斐のある奴で嬉しいよ」
と、囁いてやれば、予想以上の反応が返ってきて、克彦はこれからどうやってこの素直じゃない奴を陥落させてやろうかと考えるだけで楽しくて仕方なかった。
お題は「確かに恋だった」様よりお借りしました。
彼女の長いセリフ5題より、
「3.なかなか来ないので、もう帰ろうかと思ってたところです」
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